抑えておきたい!琉球泡盛の歴史

抑えておきたい!琉球泡盛の歴史

2019年9月19日 0 By ぴょん吉

沖縄で生まれ育った「泡盛」の歴史をご存知でしょうか?
今回はその琉球泡盛の誕生から現代に受け継がれるまでの歴史をわかりやすく5つのブロックに分けてご紹介します。

1.14世紀後半に琉球へ

泡盛は13世紀初頭に西アジアで発達した酒の蒸留技術が中国からタイに伝わり14世紀後半にかけて琉球に伝わったと言われており、アジア諸国との貿易の貢ぎ物として重宝されていました。

2.規制の厳しい琉球王朝時代

琉球王朝時代・政府から製造許可が居りたのは首里三箇(烏堀、赤田、崎山)のみ。
当時泡盛の製造に関する規制・管理は非常に厳しいものであり泡盛の密造は死罪に値するほど泡盛の製造は徹底的な管理下にありました。
ですがその環境下でも酒造の技は常に競われ泡盛の製造技術は向上していきました。

3.献上品として憧れだった泡盛

明治に入り廃藩置県で琉球から沖縄県となった頃には酒造りの免許制度が始まったことで約760戸の民間酒造所が建つまでに。
また当時江戸幕府への献上品の中には必ず泡盛が含まれており薬用酒としても重宝され、人々の憧れの貴重なお酒でした。

4.戦火に飲まれた酒造所

第二次世界大戦により沖縄は激しい地上戦に飲まれ、これまで建てられた多くの酒造所や泡盛製造に必要な黒麹菌は戦火に焼かれます。
戦後当時・廃墟と化し酒造所も麹菌も失った沖縄で再び泡盛の製造をすることは困難と思われていました。
ですが偶然、酒造跡地から製麹の際に使用されるニブロク(ゴザの一種)が見つかったためニブロクの繊維を蒸米にまぶしたところ、24時間後に黒麹菌が育成されているのを確認。
まるで神話やおとぎ話のような話ですが灰の中から一度失われたと思っていた麹菌を蘇らせる事に成功したのです。

5.戦後のアメリカ文化に揺れる泡盛

戦争を乗り越え再び泡盛文化は息を吹き返し酒造所も再び増え始めました。
しかし戦後アメリカの統治下となりアメリカ文化となった沖縄ではビールやウイスキーが普及し始め、数百箇所と回復した酒造所もこの頃には約48箇所になるまで衰退していきました。

6.現在の琉球泡盛

本土復帰を果たした1972年から現在にかけても若者の泡盛離れや多種多様なお酒や流通が増え、現在も泡盛業界は苦しい状況が続いています。
ですが技術の発達により沖縄県内の特産品を活かした泡盛や・アルコール度数を低くして飲みやすくした泡盛・古酒の質を上げる工夫などが行われ、沖縄から北海道までと、日本全国各地から通信販売を通して全国の泡盛好きに愛されています。

ぴょん吉

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